西軍15000は京極高次が籠る大津城に釘付け、関ヶ原の決戦に間に合わず敗北要因の一つに。
姉(太閤秀吉側室)や妻(浅井三姉妹の中娘)の七光りを受けた「蛍大名」と囁かれた高次でしたが、守るに難しい大津城に3000の手勢と籠り七日間の猛攻を耐え抜き、開城は美濃での大決戦当日、猛将立花宗茂や毛利元康(元就八男)らの大群を関ヶ原に到着させず、家康から称賛された手腕は立派なものです。近江源氏・北近江守護の末裔の名に恥じないものでしょう。
東の大群を上田城へ釘付けにした真田ばかりが目立ってますが、その真田の働きを相殺するような働きを京極が果たしたのです。判官びいきはほどほどにしてこちらにも目を向けるべきでは。歴史を変えた働きですよ。