「幕軍官軍のいずれもが、正しいと信じたそれぞれの道へと己等の誠を尽くした。流れ行く一瞬の時差により、或るは官軍となり、また或るは幕軍となって士道に殉じたのである」
京都競馬場に近い府道124号線沿いに立つ『戊辰役東軍西軍激戦之地碑』に刻まれている文面より。
ここは戊辰戦争鳥羽伏見の戦いの戦闘の舞台、淀千両松の近く。
ここで敗れた幕府軍の残兵が、近在の稲葉藩淀城へ逃げ込もうとしたところ締め出され、さらに大阪まで逃げたら総大将の徳川慶喜が先に江戸へ逃げ帰っていて呆然、は有名な話。
善悪では図れないよね。悲しい内戦をそれぞれ命をかけて戦ったのだし。瞠目。