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山陽自動車道三木SA上り 数量限定わらび餅シュー



これで300円ラブシュー生地の豪華さが意外でびっくり。
わらび餅とアンコの甘美味しさと相まって満足感倍増。
うまいっ!贅沢感満載。
山陽自動車道上り側三木SAで出会ったわらび餅シューに驚かされた。数量限定なのが注意だけど。
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『この川の向こうに君がいる』眼は映すのみ観るのは脳

高校生読書感想文課題図書の一つ、濱野京子『この川の向こうに君がいる』は、震災被災者の心情を、吹奏楽部を主舞台にしながら描いています。
「川」は、被災当事者とそうではない者、また被災当事者同士でも被災内容や程度が異なる者、を隔てる越えがたい認識の差を顕しているようです。
被災当事者ではない者は、いくら「やさしくあろう」などとは考えても、被災当事者と同じ視点にまでは立てないこと、また、「被災者」とひとくくりにはできず、被災当事者の間でも被災状況・程度の差によりそれぞれの視点はひどく異なっている有り様が記されていました。

同じものを目にしても、見る側の経験・思想によりそれがどう見えるのかは異なるようです。
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「阪神淡路震災記念人と防災未来センター」目は写し脳が見る

被災経験者の知人は復興進捗を、未経験者の自分は被害拡大の状況を。震災の記録を記したパネルが並ぶ同じ部屋に居ながら、二人が見ているものは違うものでした。恥ずかしかったのを覚えています。
神戸市中央区の「阪神淡路震災記念人と防災未来センター」を知人と訪れた際のエピソードです。インフラ復旧を待ち望んだ経験を持つ知人は復旧進捗の記述に興味をもち、深刻な経験がない私は被害拡大の記述の方に注意を取られた、生々しい現実です。
被災経験者への共感を口にしても、当事者とそうではない者とは越えがたい認識の差があります。

広島原爆被災を研究している方がラジオで語っていました。原爆の被害状況に詳しい方は多いけれども、そこからの復旧を知る方は少ないと。我が身を振り返ってもその事がよくわかります。

同じものを前にしても、見る側の経験・思想によりそれがどう見えるのかは異なるようです。
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『韓非子』から汎用性こそが役に立つ!

「伯楽その憎む者に千里の馬を相するを教え、その愛する者に駑馬を相するを教う」平凡社版『韓非子』訳本で初めて出会った、最お気に入りの言葉です。
中国春秋戦国時代末期の思想家(法家)韓非が記したとされる書籍韓非子は、非情・人間不信の書と言われながらも、強力なリーダーを育む教科書として重用されてきました。春秋戦国時代のチャンピオン「キングダム」秦の始皇帝も韓非子を高く評価していました。法家バリバリで、自己申告より低い結果しか出せなかった臣下のみならず自己申告より高い結果を出した臣下をも「言を偽った」と処罰せよと述べたり、気を効かせて自分の業務外の仕事をする者を処罰せよと述べたりするのが特徴的です。

首記の名言の後にはこう続きます「千里の馬は時に一あるのみにてその利緩く、駑馬は日に売られその利急なり。」
至言です!
高邁な理想論より平たい言葉の方が相手の心に届きます。お高い専門技能が技術革新に取って代わられ陳腐化するのを見ると、ゼネラリストで良いんじゃない?と思えてきます。汎用性こそ力だと思います。
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カサンドラ・シンドロームアポロンの呪い

「ダンジョンに出会いをを求めるのは間違っているだろうか」でも、正確な予言が誰にも信じてもらえない有り様が再現されていました。
カサンドラ・シンドロームは、真摯な訴えが世間の理解を得られず心身に異常をきたすこと。アスペルガー症候群の伴侶をもつパートナーに多いそうです。「あんな良い伴侶なのに何が不満なの?」って、世間の理解を得られずに。

トロイア王女カサンドラは、アポロンの寵愛を受け予言力を授かるも、その力によりいずれアポロンの愛が冷めることを悟りアポロンを拒絶、怒ったアポロンから「何を言っても誰からも信じてもらえない」呪いをかけられます。トロイア戦争の際には正確な予言をしながらそれを信じてもらえず、それが為にいわゆるトロイの木馬がトロイアイリアス城に侵入しトロイアは滅びました。

国をも滅ぼした「不信」。心身の健康を損ねるほどの症候群を示唆しているようです。
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平治の乱平氏による武家政権の確立

京都御所内、左近の桜・右近の橘を脇に、平清盛長男重盛と源義朝長男悪源太義平が一騎討ち、の逸話が残る平治の乱。
教科書的には、これで皇族による院政・親政両派が力を失い、平氏により武家政権が力を得た、ですね。

後白河上皇院政方:藤原信西・平清盛
二条天皇親政方:藤原信頼・源義朝

「平治物語」によれば、平氏方3000源氏方800の軍勢が都を舞台に戦ったそうです。
後白河上皇方が勝利し信頼も義朝も命を失いましたが、そこに至るまでの政治的経緯と、信西も死に藤原両氏の共倒れ、やらなんやらで後白河上皇自身も権力を清盛に奪われる事態となりました。

先の保元の乱もそうですが、政治的背景が複雑でわかりにくく、NHK大河ドラマ「平清盛」がわかりやすいようにと苦労しただろうことが想像できます。
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保元の乱 摂関藤原氏は抗争の果てに没落

鎮西八郎源為朝が剛弓引き絞り、次々と敵騎馬武者を射落とし、、の逸話で有名な保元の乱。
教科書的には、この内紛の果てに摂関藤原氏は没落、皇室による親政が権力を取り戻した、のですね。

後白河天皇方:藤原忠通、源義朝、平清盛 etc
崇徳上皇方 :藤原信頼、源為義・為朝親子、平忠正 etc

「保元物語」によれば、後白河方600の軍勢が崇徳方が籠る東三条殿へ夜襲を掛け、一進一退の末に後白河方が勝利を得ました。
崇徳上皇は讃岐へ、源為朝は八丈島へ流され、藤原信頼は戦時に受けた傷により敗死、そして、、
これが衝撃だったそうです!泰平の平安京で数百年行われなかった死刑が実施雷しかも処刑されたのは勝者側源義朝の実父為義冷や汗厳しい

こういった内乱って、後の応仁の乱しかり、戦後の推移をみると誰が勝者なのかなかなかわかりにくいんですね。勝者のはずの藤原忠通は何故か勢威を落としましたし、、NHK大河ドラマ「平清盛」も分かりやすくするにはどうすればよいか、相当苦心したことと思います。
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