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秀吉が攻め長治が耐えた 三木城攻防戦

『今はただうらみもあらじ諸人のいのちにかはる我が身とおもへば』三木城址上の丸公園に建つ別所長治辞世碑。
城攻め巧者羽柴秀吉による凄惨な兵糧攻め「三木の干殺し」。非戦闘員を含む7500人による諸籠りは、秀吉による食糧枯渇策のつけ入るところとなり、悲惨な二年間の後、城主長治や正室照子らの命と引き換えにと城は落ちました。
照子は丹波の波多野秀治娘ですので、親子で信長勢に落とされたことになります。
秀吉配下の知将竹中半兵衛はこの攻城戦中に陣没しました。

山陽自動車道下り線三木SAに、三木合戦のPR看板があります。「秀吉が攻め、長治が耐えた」と。
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