こじかの記録

BAI式ブログサービス
最近のエントリー

最近のトラックバック

カテゴリー

バックナンバー

<< 尼崎七松 織田信長による有岡城仕置 | main | 秀吉が攻め長治が耐えた 三木城攻防戦 >>

名神多賀SA内の織田信長に焼かれた城跡

名神高速下り多賀SA内には「敏満寺」城塞跡の遺構が遺されています。城塞として使われた寺院跡ですが、全国のサービスエリアの中でも城跡が併存しているのは珍しいでしょう。
小さな案内標識に従い小路に入み、遺構と説明文を確認し、珍しさに驚いたものです。
南近江守護の六角氏に従っていたため北近江の浅井長政に焼かれ、のち信長に焼き尽くされ、残った礎石は彦根城に持っていかれたとか。

本能寺や比叡山延暦寺もそうですが、中世の寺院は防御機能を備えた城塞として使われていたそうです。そこいらの小城よりよほど強力な寺院が多くあったのですね。
書いた人 こじか | comments(0) | trackbacks(0) |




コメント


コメントを投稿する














この記事のトラックバックURL

http://saruru.blog.bai.ne.jp/trackback/228976
トラックバック




カレンダー
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< March 2024 >>

Link

Profile

QRコード